【2010年2月】 「国際理解と世界理解 」
2009-10年度RI第2630地区
ガバナー 岩本 忠
世界は時とともに広がる
人間誰しも幼いころには、自分の周辺が世界だと思っています。それが行動範囲を広めて世界は広くなってゆきます。昔、中国で、世界は四脚の台に乗った円盤のようなものと考えていたそうです。ある時、そそっかしい神様が躓(つまづ)いて東側の脚を外してしまったので台が傾き、川はすべて西から東に向かって流れるようになったということです。西域から東南海までの、そのような地形の範囲が古代中国の世界だったわけです。
古代ギリシャの地図をみると地中海が世界の中心で、周辺は、北はアルプスの山々、南はアフリカの砂漠、東はチグリス・ユーフラテス河、西はジブラルタルの門が限界でその外側は伝聞による間接情報を得て知る程度でした。ストラボーンの『地誌』にもそれが記されています。トロイ戦争のあと10年間、オデュッセイア(ユリシーズ)がさまよった海路はエーゲ海からイタリアの沖程度でした。また、ゲルマーニアというのは、今日のドイツのうちの極く一部分で北欧より南下してギリシャ・ラテンの近くで知られている部族名でした。それがゲルマンという総称になったのは、当時は相互の交流交易が一般的ではなかったということです。
それでも地中海を脱出する人たちは、イタリアから船出して西の門ジブラルタルを超えて、大西洋の潮流に乗ってアイルランドに着くのでした。ローマ時代にその記述があります。古代キリスト教の伝搬はローマからアイルランド、ベルガエ、北イングランド(リンディスファーン島に寺院跡あり)の順でした。ガリアやゲルマーニャは長く異教徒の地でした。コロンブスが大西洋をわたる1492年まで、西欧の人たちはイベリアのジブラルタルが西の果てだと思っていたのです。世界の広がりは、造船技術、羅針盤、大砲(火薬)、紙と活版印刷術のおかげだという人がいます。ルネッサンスから近代に向かう15世紀は、まだそのような時代でした。
今日、私たちは、地球が丸いことを知り、その中に、様々な民族がそれぞれの歴史を形成して暮らしていることを知っています。
国あるいは国家という概念
洋の東西を問わず、人々はムラ単位で暮らした時代がありましたが、社会性(交易、戦略防備、統治)の発展で、より集団効率の高いクニを形成したのでありましょう。そこには法律、徴税、軍事を司る統治単位ができて、国家(nation)として機能する段階に至ります。ここで風俗習慣、言語の相異は下位段階におかれます。さらには強者が強勢的に民族の交錯する土地に線引きをします。中東あるいは米国の、国境や州境が山川の地形に関係無く直線で区切られているのが地図でみられます。机上で作成された境界線です。18世紀以降の、この段階で人間は随分と自己中心的利己的で「国家のために」なら何をしても良いとのモラルが前面に出ていました。異文化の相手を理解
「国際理解」は、これら人文的社会的な相異をもつ国の人々のことを知り仲良くしてゆくことです。これにはまず、民族の歴史と習慣を、大抵は文字歴史(それも多分に勝者の歴史ですが)から、学ぶことになります。しかし現実には、現地に行って直説相手と接触をすることが肝要です。異文化間の交流には寛容と忍耐が要ります。自分の価値判断基準とは異なる人々の存在を認め、その好悪や義理人情の行動律をみとめ合って、交流をするのです。違いを認め共通点を見付けながら心のつながりを模索して行きます。そこでは、「優しいこころ」が信頼を培う基盤となります。
みんなの社会を理解
国際関係には具体的に特定の国や文化という相手があり、その関係のあり方も一元的ですが、「世界理解」は、多元的であり、より普遍的抽象的な要素が含まれてくるように思われます。その意味で、この世界理解は全ての人々を対象としています。現代では、様々な民族や国が、固有の文化、経済機構、政治体制をもってその存在が知られています。つい先日まで、私たちは東西のイデオロギーに大きく影響されてきました。今は、南北の宗教が紛争要因の大勢です。
私たちは、それら諸問題を整理して、ロータリアンとしてできる事柄を考えましょう。問題分析は世界的規模で、奉仕活動はクニ組織を活用して、活動行為がムラの人びとに届く事柄を行なうのです。異なる社会に暮らす人たちの生活上の問題点を理解し行動するのが、世界理解につながる奉仕活動ではないでしょうか。










【2010年2月】 「国際理解と世界理解 」 
